村社 三柱神社(豊岡市日高町稲葉)
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概 要
社号 三柱神社
読み:みはしらじんじゃ
所在地 兵庫県豊岡市日高町稲葉73
旧地名 気多郡太多郷稲葉村
御祭神 主祭神 奥津彦命(おきつひこのみこと)
配祀神 奥津姫命(おきつひめのみこと) 火結命(ほむすびのみこと)
近代社格制度 旧村社
創建 創立年月不詳
例祭日 10月28日
境内摂社(祭神)
一口メモ
西日本一長い蘇武トンネルで香美町村岡へ通じる国道482号の豊岡市側出入口の豊岡市日高町稲葉集落内にある。
境内の木々は樹齢は分からないが、そびえ立っていてかなりな樹齢だ。奧の禁足地は「カンドコロ」そのものの荘厳な印象。
歴史・由緒等
三宝荒神と称せしも明治3年(1870)三柱神社と改称し同6年(1873)10月村社に列せらる。 -「兵庫県神社庁」-
神鍋地区をはじめ旧太多郷には三柱神社が多い。柱とは御祭神のことで三柱とは三神を祀っているという意味である。
三柱神社 豊岡市日高町稲葉73
三柱神社 豊岡市日高町山田559 「主祭神 奥津彦命 配祀神 奥津姫命 火結命 倉稲魂命」
三柱神社 豊岡市日高町万劫67 「主祭神 奥津彦命 配祀神 奥津姫命 火結命 祓戸四柱神」
三柱神社 豊岡市日高町栗栖野184 「主祭神 奥津彦命 配祀神 奥津姫命 火結命」
三柱神社 豊岡市日高町頃垣571 「主祭神 奥津彦命 配祀神 奥津姫命 火結命」
名神大 戸神社 主祭神 大戸比売命(オホベヒメノミコト)・配祀神 奥津彦命 品陀和気命 火結命
と関連があるのだろうか?
三宝荒神
奥津彦命の別名は大戸比売神。竈(カマド)の神、火の神。その一般に馴染みの竈神という点から見てみると、その性質は、穢れに敏感で、人がその意に反した行いをすると激怒して恐ろしい祟りをなすと信じられている。 そういう性質から竈神は、荒神と呼ばれている場合も多い。 荒神というのは、火所を守護する神聖な神である三宝荒神のことだ。 三宝荒神は、主に修験道や日蓮宗が祀った神仏習合の神である。 ふつう如来荒神、鹿乱(カラン)荒神、忿怒(フンヌ)荒神のこととされ、この神は仏教信仰の柱である仏、宝、そうの「三宝」を守るのが役目である。
三宝荒神も、清浄を尊び不浄を嫌うという非常に潔癖な性質とされている。 それが、古来、不浄を払うと信じられてきた火の機能と結びつき、日本古来の民間信仰である竈の神(火の神)と結合された。 それが全国を遊行して歩いた修験の山伏や日蓮宗の行者によって家庭へと広められたものである。
竈神や荒神の基本は、家つきの土着的な神さまであるから、火防せ、農作物の守護といったことから結婚、赤ん坊の無事な成長、家族の健康や旅行の安全、家畜の守護といったことまで、家族の生活に関わるあらゆることを支配し守護する機能を持つ。 家族の生死や寿命、幸福、家の盛衰を左右する力を持っているというわけである。 日常的な生活の隅々までカバーする、多様で具体的な機能を持つのは家の神に共通するものだが、それだけにこの神を味方にすれば大変心強いといえる。
明治の神仏分離令により、神仏習合の三宝荒神という社号を三柱神社と改められたのであろう。
「神社史料集成」に、
雷神社(但馬国気多郡)
名神大(貞・『延喜式神名帳』)
従五位上(六国史終了時)
比定社
雷神社(兵庫県豊岡市日高町稲葉)
「神社史料集成」に、比定社 雷神社(兵庫県豊岡市日高町稲葉) としてあるので、古社地はそうなのだろうか?と思いずいぶん調べることになった神社であった。おそらく雷神社の所在地が気多郡佐野字稲場とあるので、当地と混同があったのではないだろうか?
延喜式神名帳の山陰道但馬国 式内社131座、名神大は10社
式内社 但馬国気多郡 雷神社 名神大 兵庫県豊岡市佐野字稲場542-2 名神大(貞・『延喜式神名帳』) 従五位上(六国史終了時)
御祭神 大雷神
配祀 須佐之男命 菅原道眞 名神大[イカツチ](らい)
比定社 雷神社(兵庫県豊岡市日高町稲葉)
桜井勉著『校捕但馬考』狭沼郷に、雷神社が記されており、延喜式神名帳にある名神大雷神社は、気多郡とだけであるが、気多郡狭沼郷(今の豊岡市佐野)だろう。 しかし、ここも疑問が残る。雷神社の豊岡市大字佐野字稲場の稲場は山頂であり、とても稲作のできるような場所ではない。イナズマのよく起こる場所であったのだろうか。雷は稲妻と書くように稲の生育に欠かせない雨を降らせる。
境内・社叢
社叢 本殿
狛犬
左境内社 右境内社
本殿奥に能舞台のような建物
地名・地誌
稲葉(イナンバ)
『国司文書 但馬郷名記抄』 (古語は以奈婆) 稲葉八上姫命隠棲の地なり。故に八上姫神社この地に坐す。
気多郡(日高町)の最も奧深い稲葉区にあり、西の蘇武岳を越えると村岡から湯村温泉へ、そして因幡路への山陰道の支道だったことから、因幡(稲葉)から出雲系の人々が二方国(今の美方郡新温泉町)へ、そして神鍋へ移り住み、因幡(稲葉)と名づけたのかも知れないと思える場所である。
また、兵庫県最古の遺跡が発見されたのは、美方郡新温泉町畑ヶ平(はたがなる)遺跡で、美方郡新温泉町から豊岡市神鍋遺跡も古い。